• 江戸を学び、江戸で遊ぼう

    江戸の町からは、現在と違い、たくさんの山々が見えました。代表格は富士山筑波山です。今日は、この2つの山を中心に紹介していきましょう。どちらの山も多くの浮世絵が、残っています。しかし、今では、晴れた日でなければ、地上から富士山を見れませんし、筑波山なんて見えた記憶さえありません。当時は、幸せなことに、どちらも日常的に見えていたようです。

    ¶ 富士山とは

    北斎「凱風快晴」
    北斎 冨嶽三十六景「凱風快晴」(出典:ウィキメディア・コモンズ )パブリック・ドメイン

      日本最高峰(3776m)の山。富士山がなかったら、江戸の文化はこんなに花開かなかったのではとも思えます。北斎、広重を始め多くの浮世絵師に取り上げられ、様々な技法で描かれました。広重は、このサイトのタイトルの元にもなっている「江戸百景」で富士山を多く取りあがられています。確かに広重の富士山も良いですが、やはり・・・

      北斎の「富嶽三十六景」(ふがくさんじゅうろっけい)の富士が最高です。「神奈川沖波裏」(かながわおきなみうら)が有名ですね。しかし、なかでも通称赤富士と呼ばれる「凱風快晴」(がいふうかいせい)は、富士山の絵の中で、私は最も好きです。芸術という分野で、日本が生んだ最高傑作の一つではないでしょうか?

    ◆富士塚とは

    [mappress mapid=”2″ alignment=”right”]  富士信仰が盛んになるに伴い、富士山に行けない人のために富士塚という富士山を模した小型の人工山が作られました。安永9年(1780年)に高田籐四郎という人が高田水稲荷の境内に建てたものが最古の富士塚と言われています。
      あなたが東京に住んでいるのなら、案外、ご近所にこの「富士塚」があるかも知れません。インターネットで「富士塚」とキーワードを入れ探してみてください。また、中目黒駅から徒歩12分ほどの「めぐろ歴史資料館」にいくと「目黒新富士」という富士塚の内部を再現したものが展示されています。近くの方は、是非行ってみましょう。参考に「めぐろ歴史資料館」の地図を載せておきます。月曜日が休館日の事が多いので事前にチェックしてから行ってください。

    ◆宝永の大噴火

      宝永4年(1707年)に富士山で大噴火が起きました。

      

    北斎「富士越龍図」
    北斎「富士越龍図」

    富士山は、いつか爆発すると言われて久しいですね。永遠に爆発しないで欲しいですが…。ちなみに私が大学生の頃、寺沢武一の「コブラ」と漫画がアニメ化された際のキャッチフレーズが「富士山が爆発する前にアニメでも見ておこうっと」というびっくりするようなものだった事をふと思い出しました。そう言えば、井上雄彦の「バガボンド」に出てくる富士山は、宝永の大噴火の後の富士山ではないでしょうか?(武蔵はその噴火が起きる100年ほど前の人)漫画ついでに言えば、望月峯太郎の「ドラゴンヘッド」では、「りゅうず」ってつぶやいている危ない人が出てましたね。これって、北斎の「(ふじごえのりゅうず)」の事ですね。意外と、富士山の爆発と漫画って関係深いですね。

    左:北斎「富士越龍図」(出典:ウィキメディア・コモンズ)パブリック・ドメイン

    【書籍】
    寺沢武一「コブラ」、井上雄彦「バガボンド」、望月峯太郎「ドラゴンヘッド」

    ◆今もよく見える富士山と取り巻く山々


      現在でも都心から良く見える場所が意外と沢山存在します。特に冬場は、空気も澄んでいて、大山から大室山にかけての丹沢山系越しに見える富士。それは、「半分は江戸もものなり不尽の雪」との詠まれた江戸の人たちが愛した風景と変わらないと思います。
      2017年1月、富士山が見える北限が更新されました。308キロ先の福島の「花塚山(はなづかやま、標高919m)」からの撮影に成功したとのニュースが朝日新聞に掲載されました。
    ちなみに南限は、熊野古道にある「妙法山(標高749m)」と言われています。富士山からの距離は322.6kmです。
      ここで紹介するのは、「富士見の謎」という本です。それにしても色んな所から富士山って見えるのですね。あなたが住んでいる近くでもよく見えるスポットがあるかも知れません。興味のあるのある方は是非読んでみてください。

    「富士見」の謎――一番遠くから富士山が見えるのはどこか?(祥伝社新書239)


    ¶ 筑波山とは

    広重 江戸百景「深川州崎十万坪」
    広重 江戸百景「深川州崎十万坪」(出典:ウィキメディア・コモンズ )パブリック・ドメイン

    筑波女体山(876m)と男体山(860m)からなります。江戸時代から、富士山と並び、信仰された霊山です。当時、江戸からは、西の富士と並び、北の方角によく見えたらしいです。ちなみに広重の「名所江戸百景」の118枚中の登場回数は、富士山が19回、筑波山が11回。

    広重の「名所江戸百景」の「深川洲崎十万坪」では、広大な深川の向こう側に描かれた筑波山をワシの目線で俯瞰しています。大迫力の構図ですね。今だとドローンがあってこのような光景も比較的簡単に撮影できますが、広重は、想像だけで描いています。まさに神の目線を持つ男だったと思います。


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