• 江戸を学び、江戸で遊ぼう

    地方から江戸へ


    江戸の職業江戸時代後期になると、地方で食い詰めた人たちが、 経済的に高度に発展した江戸へ流入してきました。 出稼ぎに来てそのまま居着いてしまう者も、かなりいたようです。 農業からの離脱者があまりに多くなり、年貢が減少したため、 水野忠邦でしたっけ「人返しの法」なんてものも出して、 強制的に帰農させたくらいでした。


    働き口は?


    流入して来た人たちは生活に困らなかったのでしょうか? 本当に仕事があったのでしょうか? 当時100万都市だった江戸ですが、 その半分の50万人はいたとされる町人、 どんな働き口があったのでしょうか?

    ここで問題です。
    次の5つの中から、当時の働き口として、 正解と思うものを選んでください。


    1. 行商
      誰でも、天秤棒を借り受けて、 魚を売ったりと様々な物を売り歩く仕事があった。
    2. 何でも屋
      「何かやる事はないかー」 などと声をあげて町を歩き、 薪割りなどこちょっとした力仕事で駄賃を稼いでいた。また、 正月が近くなると餅つきなどをして稼いでいた。
    3. 大道芸人
      自分でこしらえた奇抜な仮装をして、 町を歩いて周り、小銭を貰ったり、ちょっとした物を売っていた。
    4. 医者、坊主
      薬の事を少し知っているだけで、 いきなり医者を開業し稼いでいた。また、稼げなくなったら、 路上でお経を唱えたり踊ったりして、お布施を稼ぐ願人坊主( がんにんぼうず)に転職したりもした。
    5. ガテン系
      魚河岸などで舟からの荷揚げ人足や車力、 駕籠かきなどの力仕事が豊富にあった。
      流入して来た人たちだけでなく、元々の江戸っ子も、 今で言うフリーターが殆どでした。

    その日暮らしと言ってはちょっと語弊があるのですが、 日雇いで働いていた人がたくさんいました。先ほどの5択ですが、 全て正解です。食べる分だけ稼ぐスタイルだったのです。 ですから、労働時間はそれほど多くありませんでした。


    スローライフ


    世界一の過密都市だった江戸ですが、「足る事を知る」 と言いますか、月の半分も働けば、妻や子供を養っていけ、 幸せに暮らしていけたようです。今のフリーターのような働き方が当たり前でした。逆に、商家で働く人たちは、 なかなか休暇も取れず、結婚も出来ないなど、 多忙を極めたようです。何だか、今と変わらないですね。
    江戸時代と比べ、今の私達の生活は、物だけに目を向けると、 驚くほど豊かになっています。 ガムシャラに働けば手に入らないものはないのかも知れません。 でもちょっと立ち止まって考えてみましょう。 それだけが幸せではないですよね。 私達も江戸時代のようにワークシェアリングをして、 スローライフを楽しむのも一手だと思います。


     


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