• 江戸を学び、江戸で遊ぼう

    富岡八幡宮


     富岡八幡宮は、寛永4年(1627年)の江戸時代初期の頃に創建された非常に歴史のある神社です。そして、東京で最大の八幡神社でもあります。また、深川八幡祭と呼ばれる例祭は、「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」(※)と昔から言われている通り、神田明神の神田祭、日枝神社の山王祭と並び、江戸の三大祭りの一つとして数えられます。特に3年に1回執り行われる本祭は、非常に大規模に開催され、巨大で豪華な神輿でも有名です。横浜市金沢区の「富岡八幡宮」(※)を本社としているため、ここは別名「深川八幡」とも呼ばれています。


    「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」
     意味は、富岡八幡宮の深川祭は神輿が中心、神田明神の神田祭は山車が中心、日枝神社の山王祭は氏子の町々が非常に広範囲であることを表しています。

    ※ハマのエビス様富岡八幡宮
     建久2年(1191年)に源頼朝公が鎮護の為、摂津の西宮の恵比寿様をお祀りしたのが始めといわれています。その後、安貞元年(1227年)に八幡大神を併せ祀り、社名も八幡宮となりました。江戸方面からも信仰を集め、深川の富岡八幡宮もここから分霊されています。


    名所江戸百景…深川はちまん山ひらき


    edo100_60 富岡八幡宮は、広重の「名所江戸百景」60番目の「深川はちまん山ひらき」でも登場します。
     江戸時代、富岡八幡宮は、深川八幡と言われ、永代寺の鎮守神でした。そして永代寺は、この深川に広大な土地を所有していました。この浮世絵は、その永代寺が、毎年4月の終り頃から5月にかけて、一般の人達に、寺が所有する日本庭園を公開していた様子を表しています。
     回遊式の庭園だったようで、池の周りには、桜が咲いています。そして、奥には大きな富士塚もあり、江戸の庶民にとって、目を楽しませてくれる上、行楽地としても楽しませてくれる大層面白いものだったに違いありません。皆さん、この時期を楽しみに待ちわびていたのでしょうね。


    門前仲町駅からの行き方


    門前仲町駅場所は、東西線の門前仲町駅にあります。1番出口より出て、永代通りを西船橋方面に2分ほど歩くと、左側に巨大な鳥居があり、そこが富岡八幡宮の入り口です。


    ※大江戸線だと、3番出口からをお勧めします。出てすぐの通りは、清澄通りなので、少しだけ、バックして交差する永代通りに出てください。そこからだと、西船橋方面へ4、5分ほどで着きます。


    参道で伊能忠敬がお出迎え


    伊能忠敬の銅像 大鳥居をくぐると、左側で伊能忠敬(いのうただたか)が出迎えてくれます。伊能忠敬は、ご存知の通り、精緻な測量による日本地図を製作した事で有名な江戸時代後期の方です。測量のため、10回に渡り、日本全国行脚の旅に出ています(その踏破距離は地球一周以上と言われております。)が、富岡八幡宮は、出発の際に、成功を祈って、必ず立ち寄ったところです。


    深川宿の深川めし


    深川宿 伊能忠敬の銅像の右奥には、「深川宿(ふかがわじゅく)」という「深川めし」のお店があります。深川めしは、この深川辺りの漁師の船上料理から端を発していると言われています。また、日本五大名飯(※)の一つでもあり、アサリを味噌で煮立て汁ごとご飯にかけた「ぶっかけ」と、醤油で炊き込んだ「炊き込み」があります。「ぶっかけ」の方が由緒正しいような気がしますが、私は炊き込みの方が好きです。ただ、このお店は食べ比べメニューもありますので、迷ったらそちらも良いかも知れません。


    ※日本五大名飯
     昭和14年(1939年)、宮内庁の調査で選ばれました。深川めし(東京の深川)、忠七めし(埼玉県小川町)、さよりめし(岐阜県)、かやくめし(大阪の難波)、うずめ飯(島根県の津和野)の5つからなります。


    力士に因んだ碑


    力士碑 伊能忠敬の銅像を挟んで反対側には、「巨人力士身長碑」「手形足型碑」があります。並んだり、手を当てたりして、その大きさを実感してみるのも面白いかも知れません。因みに一番大きかった力士は、「釈迦嶽(しゃかがだけ)」で、7尺5寸(2m27cm)、体重45貫800匁(172Kg)もの巨体だったそうです。


    巨大で豪華な神輿


    神輿舎 少し歩くと、左側にガラス張りの神輿庫があり、その中には、2基の神輿が展示されています。元々は、江戸時代、紀伊国屋文左衛門が寄贈した3基の神輿が有り、それは深川の住民の誇りでした。ところが、大正12年(1923年)の関東大震災により、焼失の被害にあいました。現在の2基の神輿の内、一宮神輿と呼ばれる神輿は、平成3年(1991年)に作られたもので、鳳凰の目などの4か所には最大7カラットのダイヤモンド、鳳凰の鶏冠には2010個ものルビーがあしらわれており、一見の価値有りです。ただ、日本でも最大級の4.5トンもの重量のため、担ぐことが出来ないということで、平成9年(1997年)に二宮神輿が作られたとのことです。


    富岡八幡宮 本殿


     さらに歩くと、左手に2羽の鳳凰の口から水が出ている手水舎があります。そして、正面が本殿です。富岡八幡宮は、寛永4年(1627年)、菅原道真の末裔といわれる長盛法印が神託により創建したのが始まりと言われています。当時、この辺りは永代島とよばれた砂州でしたが、干拓し、建立しました。場所に因んで「永代嶋八幡宮」と呼ばれていました。そして、社殿を中心に門前町が出来、干拓もどんどん進み発展していきました。現在、社殿は鉄筋コンクリートですが、朱色が映え、重厚で立派なものです。晴れた日の青空との対象や、夜のスポットライトに照らされる様、どちらも格別なものがあります。

    本殿


    横綱力士碑


     今度は、本殿の右手の渡り廊下をくぐります。すると、右側に「横綱力士碑」があります。なんでも、幕府に初めて認められ、勧進相撲(※)が江戸で初めて開催されたのは、貞享元年(1684年)、この富岡八幡宮境内だったとのことです。その後、本場所が31回行われました。現在の感覚だと、両国の方が相撲の中心のように思えますが、江戸勧進相撲の発祥の地は、ここ富岡八幡宮だったのですね。


    ※勧進相撲(かんじんずもう)

     勧進相撲とは、寺社の造営・修復などの費用を捻出するため開催した相撲のことを言います。戦国時代に端を発し、江戸時代に入ってからも、京都、大坂、江戸を中心に全国各地で行われました。ところが、暫くすると、風紀を乱すということで、禁止されてしまいました。


    本殿東側(船橋・木場方面側)の摂末社(せつまつしゃ)…芭蕉にも会える



     横綱力士碑の右側の抜けると、3つの社殿があります。
     最初は、「永昌五社稲荷神社」です。ここは、五穀豊穣、商売繁盛の神様です。近所にあった稲荷社5社が合祀された神社とのことで、ご利益も5倍ありそうです。
     次に「祖霊社・花本社」「天満天神社」「聖徳太子社」「住吉社」「野見宿祢社」「車折社・客神社」がいっしょに祀られた社殿があります。「花本社」は、意外な事に、ここ深川に居を構えていた松尾芭蕉を祀っています。
     そして3つ目は、「七渡神社(ななわたりじんじゃ)」「栗島神社」がいっしょに祀られた社殿です。「七渡神社」は、八幡宮が創建される前から祀られている地主神です。七渡弁天として親しまれ、関東大震災や東京大空襲の際は、近所の人がこの弁天池に避難し、一命を取りとめたと言われています。6月17日が例祭です。「栗島神社」は、裁縫上達の神様で、2月8日に献針祭が行われます。
     近くには、「木遣りの碑」「角乗りの碑」の木場職人に関連した石碑もありますので、興味がある方は見ていきましょう。


    本殿西側(門前仲町駅側)の摂末社(せつまつしゃ)…なんと富士塚も


     一旦、本殿の戻ります。「資料館」の脇を抜け、丸っこい石が並ぶ「力持ち碑(※)」を横目に西側に進むと3つの社殿が並んで見えてきます。


     


    富士塚
    富士塚

    向かって右側は、「鹿島神社」「大鳥神社」が合祀されています。「鹿島神社」は、武勇そして旅行の神様を祀っています。「大鳥神社」は、家内安全・商売繁盛の神様です。11月には酉の市が開かれます。
     中央は、「恵比寿神社」「大国神社」が合祀されています。「恵比寿神社」は、航海安全・商売繁盛の神様で七福神の一つです。恵比寿様は、深川七福神巡り(※)のコースに含まれています。
     そして一番左側は、「富士浅間社」「金毘羅社」が合祀されています。「富士浅間社」は、江戸時代、富士塚があったためで、富士山の山開きにあたる7月1日は、大蛇守りが授与されるということで人気を集めています。実は、この神社の裏手に富士塚があります。かつては6メートルもの高さがあったとのことですが、昭和40年代に壊され平成14年に再建され、こんなにこじんまりしてしまったそうです。そして、最後の「金毘羅社」は、航海・漁業の守護神として江戸時代中頃に香川の金刀比羅宮から勧請されたとのことです。


    ※力持ち碑

    力持ち碑
    力持ち碑

     江戸時代、この近辺で働く、力持ち自慢が、重い石を持ち上げる曲芸があったとのことです。その時、持ち上げた石に氏名、重量、日付などを入れ奉納されています。それにしてもこんなに大きな石を持ち上げていたとは、、、本当にビックリです。そう言えば、昔TVで見たことがあります。最近でもやっている方、居るのかも知れません。


    ※深川七福神巡り
     
    ここ門前仲町から都営新宿線の森下駅の間に、七福神は点在しています。ゆっくり歩いても2時間ほどのコースとのことですので、正月に一度トライしたと考えております。神社のHPによりますと、元旦から1月7日の間、午前8時より午後5時迄、ご開帳しているとのことです。この期間、七福神それぞれの印を頂く色紙、七福神毎に異なるの鈴とそれを掛ける笹などを集めて回ることが出来ます。


    永代寺


    永代寺 西門を出て、門前仲町駅の方向に歩くと、ポツポツ渋めの小料理屋が有り、どこも美味しいです。1分ほどで、深川不動尊の参道にぶつかります。その角に、永代寺があります。元々、富岡八幡宮が創られた際に、その別当として、永代寺は創建されました。当時は、成田不動尊などの出開帳が多くあり、江戸6地蔵の最後の一体が深川地蔵坊正元の勧進により永代寺に造立され、大いに賑わっていました。ただ、明治元年(1868)の神仏分離令での廃仏毀釈により、永代寺は廃寺となりました。現在の永代寺は、明治29年(1896年)、永代寺塔頭であった吉祥院が永代寺の名称を継いで、創建したとのことです。


    最後に


     例の事件もありましたが、富岡八幡宮は、見所も多い神社です。ほんの30分、じっくり見ても1時間ほどのコースですが、充分に楽しめます。機会があれば、是非立ち寄ってみてください。それと、夜の富岡八幡宮も雰囲気がガラリと変わり、綺麗ですよ。


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