• 江戸を学び、江戸で遊ぼう

    sumiyosi_00


    摂津の佃村(大阪市淀川区佃)から移住(※)してきていた佃島の住民が、正保3年(1646年)に、故郷の住吉三神を祀ったのが「住吉神社」の始まりとされています。


    ※摂津の佃村から移住
     本能寺へ変の時、徳川家康は、大坂の堺にいましたが、30名ほどの僅かの手勢しか従えていませんでした。家康は、明智光秀から逃れるため、領地である三河への決死の逃走を図ります。これが、あの有名な「伊賀越え」の話ですが、最初からつまずいてしまいます。それは、神崎川に差し掛かった時です。川を渡る舟がありません。そこで助けてくれたのが、佃村の漁民たちでした。
     天正18年(1590年)、江戸に入った家康は、当時の恩に報いるため、摂津の佃村の漁民たちを呼び寄せ、特別の漁業権を与えます。さらに、その後、家康は、漁民たちへ鉄砲洲向かいの干潟を住処として与えました。それが、佃島の始まりとされています。


    大江戸線「月島駅」からの行き方


     月島(※)駅 6出口を出て、すぐ左に曲がります。道沿いに少し右に曲がりながら歩くと左に入る路地があります。そこを突っ切って右に曲がると、道の左側に鳥居を共有する形で2社が並んでいる小さな稲荷神社があります。向かって左には「波除稲荷神社(なみよけいなりじんじゃ)」と右側には「於咲稲荷神社(おさきいなりじんじゃ)」があります。また、境内には、昔この辺りの漁師が力比べをして奉納したとされる3つの力石があります。また、この神社の少し手前に「佃天台地蔵尊 入口→」と書いている看板があり、気になります。その路地を入ってみると…、右側に「佃天台地蔵尊」がひっそりありました。
    sumiyosi_01


     さらに歩いて、「佃小橋(つくだこはし)」を佃島(※)へ渡ります。この橋の手前から、銭湯側を見上げた時の景色はなかなかフォトジェニック‼渡ってすぐに八角箸を製造している家があるのでその手前を右折し、直進すると「住吉神社」の裏口へ到着です。

    sumiyosi_02


    ※月島
     明治25年(1892年)に出来た埋め立て地です。当初は「築島」と名付けれたのが、「月島」と改められたとされています。ただもう一説で、江戸当時、「月の岬」という月見の名所から見た先がこの月島方向だったことから名づけられたという説もあります。私はこちらの説の方が好きですが…。因みに、「月の岬」は、広重の「名所江戸百景」でも取り上げられています。また、この浮世絵は、広重の最高傑作の一つだと私は思います。

    edo100_082


    ※佃島
     元々は、鉄砲洲向かいの干潟を埋め立てて造られた独立した島でした。現在では、月島と陸続きとなっていたり、石川島とも陸続きのように見えますが…。江戸の古地図(※)を見ると孤島であることが、はっきりわかります。左上が「浜御殿」(現在の「浜離宮恩賜庭園」)、右側に見えるのが、当時は「人足寄場(にんそくよせば)」だった「石川島」、さらに右に行くと「永代橋」があります。また、右下には、「富岡八幡宮」もチラッと見えます。

    ※「江戸の図」(文化10年(1813年)、文刻堂西村源六、文寿堂丸屋文右衛門)

    edozu_tukudajima


    名所江戸百景


     佃島住吉神社の夏祭りの風景が、広重の名所江戸百景にも取り上げられています。驚くのは、神輿を担いで海上を練り歩いているところです。昭和34年ごろの古い写真だと同じようなことをしていたようですが、現在では、3年に1度の大例祭の時、艀(はしけ)に乗せて隅田川の上流と佃大橋との間を周回するようにしているようです。

    edo100_050


    一の門、二の門


     一旦、隅田川まで行って、「一の門」から入り直します。一の門は赤い鳥居です。また、「二の門」は、大変珍しい陶製の扁額で、「住吉神社」と書かれています。故有栖川宮幟仁(ありすがわ たかひと)親王の筆とのことです。

    sumiyosi_03


    手水舎


     二の門をくぐると、すぐ右側に「手水舎」があります。なかなか立派な手水舎だなと、ふと見上げると、欄間には、住吉神社らしい彫刻が…。手水舎の奥には、鰹塚もあります。

    sumiyosi_04


    拝殿


     佃島の漁民の故郷の摂津の住吉明神(現在の田蓑神社)の三神、神巧皇后と東照権現(家康)を祀っています。佃島は江戸湊の海上安全・渡航安全の守護神として信仰を集めていました。現在では、月島、勝どき、豊海、晴海などの地域を含む、氏神として信仰されています。

    sumiyosi_05


    摂社


     摂社として、龍神社、船魂神社、疫神社と疱瘡神社、そして入船稲荷神社(下写真)があります。

    sumiyosi_09


    御神輿


     摂社の入船稲荷神社の横には、御神輿がガラス張りで展示されています。

    sumiyosi_10


     また、隅田川沿いにある「佃島渡船場跡」にも、別の御神輿が展示されており、いっしょに展示されている「龍虎の頭」は迫力満点‼3年に一度の大例祭の時は、2対の獅子を持ち上げ、神輿の先導として練り歩き、凄まじい動きで大迫力とのことです。

    sumiyosi_11


    もんじゃストリート


     住吉神社側と通りを挟んで反対側の月島駅の7出口から出ると、あの「もんじゃ焼き(※)」で、有名な「もんじゃストリート」もあります。

    sumiyosi_13


     時間がある時は、足を伸ばしてみたいですね。それにしても、50軒以上ものもんじゃ屋さんが軒を連ねていて、どこに入って良いか迷いますね。

    monjya


    ※もんじゃ焼き
     実は、この「もんじゃ焼き」、江戸がルーツです。当時は、水で溶かした小麦粉に砂糖を混ぜ、鉄板で焼いていました。下の浮世絵は、「北斎漫画」初巻からです。丸い鉄板で焼き上げたものを手前にぶら下げています。亀?とか鳥居とか?の形でしょうか?子供向けのおやつだったようです。


    monjiyaki


    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。

    Translate »