• 江戸を学び、江戸で遊ぼう

    北斎「北斎漫画」

    江戸時代は、竃(かまど)の灰、壊れた傘、使った後の溶けた蝋( ロウ)、1度使って不要となった紙、古くなった樽、 果ては人間の排泄物まで、ありとあらゆるものが、回収され、 再利用されていました。 今日はその中でも特に珍しい回収業者を2つばかり紹介します。


    取っけえべえ


    金属類の回収業者です。「取っけえべえ、取っけえべえ」 と歌いながら歩くと、子どもたちが集まって来ます。そして、 子どもたちは、 遊びながら拾い集めた古釘などの金属類を手に手に持って、 その回収業者に飴やおもちゃと変えてもらっていました。 この業者たちは、 なぜ直接自分たちで回収せずに子どもたちにやらせたのでしょうか ?多分、こうゆう理由だと思います。 釘などの金属類が道のど真ん中に落ちている事は稀だったのだと思 います。また、あったとしても、 直ぐに自分で拾っていたのでしょう。従って、落ちている場所は、 路地裏とかのちょっと込み入った場所だったのだと思います。 そんなところを目を皿のようにして業者が探していると怪しまれま す。そこで、 地元の子どもたちを使うことを思いついたのではないでしょうか? 子どもたちは、自分たちの町内であれば、 大人が入り込めないような隅から隅まで知っていたのでしょう。 大工の何々さんはおっちょこちょいなのでしょっちゅう釘を落とし ているとか、最近、あそこで普請(ふしん、建築)があったとか、 火事があったとか、さまざまな情報に精通して、 探すのがとっても上手な子もいたのでしょうね。


    献残屋(けんざんや)


    年々、お中元やお歳暮の物量が落ち込んでいると聞きますが、 そのシーズンになるとデパートから案内が来たり、 特設コーナーが出来たりと相変わらず活況のように感じます。 それでは、 このお中元やお歳暮がいつ頃からあったかご存知ですか? 江戸時代もこんな風習あったのでしょうか。昔、 中国では1月を上元、7月を中元、12月を下元と呼んでいて、 祖先にお供え物をしていました。お中元やお歳暮は、 これとお盆のなどの行事が複合して変化、 定着したものと言われています。日本では、 親戚やお世話になった方に贈り物をします。室町時代に始まり、 江戸時代に定着したいうのが通説です。それでは、 江戸時代はどんな物を贈っていたのでしょうか?当時は、 現在と違い冷蔵や真空パックなんて技術はありませんでしたので、 腐りにくいものを贈っていたようです。つまり、 するめや昆布など日持ちのする物が多かったようです。 特に礼節を重んじる武士の間でのやり取りは活発でした。ただ、 身分が上に行けば行くほど、集まりやすいので、 使い切れないほどになる家も結構ありました。これに目をつけ、 余ったものを買い取って、転売することにより、 利ざやを稼ぐ業者が登場しました。献残屋(けんざんや) と呼ばれていました。また、 名より実を取る商人が中心の大阪では無縁の職業で、 もっぱら武士中心の江戸で発達しました。


    以上、如何でしたか?こんなところでも、 子どもたちから武士たちまで、 ちょっと変わった形でリサイクルに参加していたのですね。 このように、とにかく使い尽くす文化の発達した江戸では、 その副産物としてゴミ1つ無い清潔な町並みを手に入れることが出 来ました。その清潔さには、 1775年に来日したツュンベリーの記録「江戸参府随行記」でも、日本のきれいさと快適さに関して、 数多く言及していることからもわかります。


    特集「江戸のリサイクル
    第1回:江戸のリサイクル1…こんな昔に再生紙
    第2回:江戸のリサイクル2…灰買いとは
    第3回:江戸のリサイクル3…ゴミの行方
    第4回:江戸のリサイクル4…江戸の町は化学工場
    第5回:江戸のリサイクル5…修理屋
    第6回:江戸のリサイクル6(最終回)…回収業者



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