• 江戸を学び、江戸で遊ぼう


    マグネシア(Magnesia on the Maeander)は、小アジアの西部(現トルコ共和国西部) に紀元前7世紀頃にあったリディアと呼ばれた王国の町の一つです 。当時、メアンデル川(現在のメンデレス川) と呼ばれた川のほとりにありました。この町では、 さまざまな珍しい鉱石が産出されました。マグネット、 マグネシウム、マンガンなどは、 このマグネシアが語源とも言われています。諸説はありますが、 その中でも、磁性を持つ不思議な石(鉄鉱石)は、 magnetite(マグネシアの石、マグネタイト) と呼ばれるようになったということです。


    指南魚の発明


    指南魚

    この不思議な石が、単に鉄を引き寄せるだけでなく、 方位を指し示すことを発見し、方位磁石として発明したのは、 中国において3世紀頃でした。指南魚(しなんぎょ) と呼ばれるもので、魚の形をした木片に磁石を付け、 それを水に浮かべ、ちょうど口のあたりが、 南を指すように作られていました。( ちなみに物事を教える事を指南すると言いますが、 こちらの語源は、この指南魚ではなく、指南車(しなんしゃ) の方です。指南車は、磁石を使わず、 歯車の仕掛けで常に一定方向を向くように作られた、 これも中国の偉大な発明の一つです。)ただ、中国では、 航海に使ったわけではなく、 もっぱら占いに使われていたようです。当時、中国では、 南が最も良い方位とされていましたので、 指南魚は非常に便利な道具だったのでしょう。


    羅針盤と大航海時代


    その後、この方位磁石は、中国の商人、 そしてアラビア人を通じて、遠くヨーロッパに伝えられます。 ヨーロッパでは、支柱の上に針が乗る形に工夫が加えられます。 これが、いわゆる羅針盤(コンパス)と呼ばれるものです。 より手軽で精密に方位が測れるようになったことで、 陸地を離れた外洋航海が可能となり、 15世紀から17世紀にかけての大航海時代を迎えます。


    地図製作と羅針盤


    ゲンマ・ フリシウス
    ゲンマ・ フリシウス

    古代ギリシアやローマにおいて、 簡単に距離や高さを測る方法として、 三角測量が知られていました。三角測量とは、 1辺の長さを基線として距離を測定し、 他の2辺の長さは角度を測定することにより算出する測量法です。 ただ、ヨーロッパでは、 非常にゆっくりとこの技術は伝播していったようで、 羅針盤との組み合わせで地図作成に使われ始めたのは、 1533年、オランダの地図製作者のゲンマ・ フリシウスが出版した冊子でその方法を紹介してからだと言われて います。しかし、その後は、 爆発的にこの三角測量は羅針盤とともに広がり、 ヨーロッパにおける地図製作は急速な進化を遂げます。


    日本への伝来


    規矩元法

    一方、日本での状況はどうだったのでしょうか?江戸時代以前、 方位磁石は、中国と同じく占いに使われていました。しかし、 寛永( 1624-1645年)の頃、状況は一変します。 長崎の樋口権右衛門(ひぐち ごんえもん)が、 当時オランダより、来日していた医師のカスパル(または、砲術士のユリアンとも)から測量技術を学んだのです。この測量法は、「規矩元法(きくげんぽう)」 と名付けられました。「規」は羅針盤(コンパス)、「矩」 は定規を意味します。角度と長さを測定することにより、 地図を作成する三角測量でした。ただし、 秘伝として弟子たちに伝えられてますので、 なかなか表には出てきませんでした。その後、 金沢家を通して受け継いだ清水貞徳(しみず さだのり)は、「規矩元法別伝」としてまとめます。そして、 17世紀、幕府の数回にわる国絵図(国単位で描かれた地図) の製作に使われるようになります。

    こうして、長い長い年月を経て、マグネシアの石が、羅針盤( コンパス)として、本格的に日本でも使われ始めたのです。


    ※ 航海にも使われた羅針盤
    航海に羅針盤が使われるようになったのは、 江戸時代の北前船あたりからと言われています。北前船とは、 北海道の海産物を輸送する船のことです。 わずかですが遠洋を航海するようになり、 正しい方角を知る必要が生じたためでした。蛇足ですが、 和船で使われた羅針盤は、裏針(うらばり)または逆針( さかばり)と言って、方位の目盛りが裏返されたものでした。 裏針の羅針盤は、船の進行方向は盤面の北に向けて固定します。 すると針が指す方向が現在の進行方向になるという逆転の発想で作 られた実用的なものでした。


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