• 江戸を学び、江戸で遊ぼう

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     文明11年(1479年)、太田道灌(※)が江戸城の守神として鎌倉の鶴岡八幡宮(※)から分霊して、今より少し南側に祀ったのが始まりです。そして、寛永13年(1636年)頃に江戸城の外堀が出来た時、現在地に移転してきました。三代将軍の家光からも厚く信仰され、莫大な援助があったとされています。その後、享保期や東京大空襲で幾たびか火災に会いましたが、昭和37年(1962年)、再興され現在に至っています。


    ※太田道灌
    kameokahachiman05 太田 道灌(おおた どうかん)は、永享4年(1432年)に扇谷上杉家の重臣の子として生まれ、仕えたとても優秀な武将でした。長禄元年(1457年)に若くして江戸城を築城したことで有名です。道灌は、幼少期から数々の言い伝えがあるのですが、特に和歌の達人となるきっかけとされた山吹伝説は、私もとても好きな言い伝えです。武将としても学者としても超一流だった道灌ですが、最後は、それ故にか、周囲や主から恨まれ、文明18年(1486年)に謀殺されたとされています。
     また、市谷亀岡八幡宮には、道灌が愛用した軍配団扇が宝物として残されているとのことです。男坂を登ってすぐ左側にその写真と解説が書かれたプレートがあります。


    ※鶴岡八幡宮
     鶴岡八幡宮の鶴に対応して、亀の名を冠にして、亀岡八幡宮と名付けたとされています。


    ¶ JR市ヶ谷駅からの行き方


     JR市ヶ谷駅から出ると直ぐに外堀が見えます。お堀に掛かっている橋を渡り、そのまま道路を横断します。TKPカンファレンスセンターの横を通り過ぎると、右に入る道がありますので、そこを入ると直ぐです。

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    ¶ 名所江戸百景


     広重の名所江戸百景にも取り上げられています。

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    ¶ 茶ノ木稲荷神社


     男坂の途中には、茶ノ木稲荷神社があります。元々は、市谷亀岡八幡宮が、江戸城築城時に移転してくる前からありましたので、こちらの方が古いですね。一千年以上前に空海が建立したとされています。とても立派なお稲荷様です。

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    ¶ 参道


     男坂を上り切った参道には、とても立派な銅製の鳥居があります。その額をよーく見ると八幡宮の八は鳩が向かい合う形になっています。これは鳩が八幡様の使いとされているためです。文化元年(1804年)に建立されたものです。

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     また、参道に左側には、摂社の金毘羅宮もあります。

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     さらに、右側には、出世稲荷もあります。

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    ¶ 手水舎


     ここの手水舎は特別です。

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     明治初期に測量の為、内務省が東京の各所に几号水準点(きごうすいじゅんてん)を設置しました。ここの水準点は、設置当初の場所に位置する数少ないものだとされています。手水舎の台の左側に「不」のような記号が刻印されていますので、是非ご覧になってください。

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    ¶ 本殿


     撮影当日は、生憎の雨で、人が少ないせいもありましたが、非常に落ち着いた上品な本殿でした。

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     本殿左側には寛政6年(1794年)の力石が保存されています。当時は、祭礼の際などに村人が石を使って力比べをして、奉納したものです。

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     本殿右側には裏参道に続く道がありました。こちらも静かな佇まいでした。

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    ¶ 最後に


     南北線市ヶ谷駅の構内には、「江戸散歩コーナー」があり、南北線の工事中に発掘された江戸城の遺跡が展示されています。時間のある方は是非!!

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