• 江戸を学び、江戸で遊ぼう

    ウォーターサーバー全盛期


    水滴

    現在の私たちはコンビニで水を買って飲みます。エビアン、ボルビック、クリスタルガイザーとかの外国産のミネラルウォーターから六甲のおいしい水などの国産品まで、さまざまなものが手に入ります。また、最近ではウォーターサーバーの水を定期的に届けてくれるサービスとかも流行っていて、いつでも熱いお湯や冷たい水が手に入り、大変便利ですね。でも、このように水を買う事が、一般的になったのは1980年台からで、割と最近の事なのです。それまでは、水を買うのは海外旅行の時だけで、国内では水道水を特に抵抗感なく飲んでいました。


    江戸時代の人も水を買っていた


    それでは江戸時代はどうだったでしょうか?実は、驚く事に、江戸時代の町民も水を買っていたのです。


    ここでクイズです。

    江戸時代の町民はなぜ、水を買っていたのでしょうか?

    1. 元々は水道があったが、幕府が供給するのをやめる地域が出て、そこの住民は仕方なく毎日水を買う事となった。
    2. 江戸時代、玉川上水が引かれたが、その水が大変美味しいと評判になったため、その水道が通っていない地域の住民は、争って行商人から水を買った。
    3. 江戸時代も水道は完備されていたが、下流になるとだんだんと水質が悪くなるため、そこの住民は仕方なく上流の水を買った。

    江戸時代、幕府は水道を整備しました。6つあり、井の頭池が水源の神田上水、多摩川が水源の玉川上水の二大上水、そして、千川上水、青山上水、三田上水、亀有上水とあと4つの上水がありました。ところが、将軍が吉宗だった頃、突然、後者の4つの上水を止めてしまいました。困ったのは、それらの下流に住んでいた本所や深川の住民です。その地域は、埋立地が多かったため、井戸を掘っても海水混じりの水しか湧いてきません。そこで仕方なく、水屋と呼ばれた行商人から水を買うようになりました。

    つまり、答えは1です。


    水屋の富


    春信「水屋」
    春信「水屋」(出典:ウィキメディア・コモンズ )パブリック・ドメイン

    上水の余りは銭亀橋の近くの排水口から日本橋川に流されていました。水屋は、水船と呼ばれた船をそこにつけて、水を手に入れていました。そして、桶に入れ、天秤棒で担いで、本所や深川まで運んでいました。結構な重労働でしたが、2つの桶で4文(80円くらい)だったと言われています。現在のウォーターサーバーの水よりより、かなり安いですね。

    その重労働さ加減についてわかるこんな落語があります。「水屋の富」という古典落語です。

    ある水屋が、富くじ(今の宝くじ)で、千両(まあ、今に換算すると1億円くらいですかね。)を当てました。さっさと水屋から足を洗えば良いのに、この水屋はお得意さんが頭から離れず、代わりが見つかるまではと続けます。真面目だったんですね〜。
    勿論、そんな重いものは、持ち歩くわけにもいかず、ボロ布にくるんで床下に隠す事にしました。
    これで大丈夫と水の配達に出かけますが、周りがすべて泥棒に見えてしまいます。毎日、毎日、そそくさと家に帰り、床下を確かめるの繰り返しになってしまいました。また、毎晩毎晩、泥棒に殺される夢ばかり見てしまいますので、睡眠不足も手伝い水屋はもうヘトヘトです。
    毎日、水屋が床下を確かめているのを、不審に思った隣のヤクザはそこを探してみます。そして、宝を見つけて盗んでしまいます。その日、いつものように、水屋は床下を確かめました。ところが、どこにもありません。消沈するかと思いきや、水屋は言います。「今晩から寝られるな。」

    それにしても真面目な男だったのですね〜。


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