• 江戸を学び、江戸で遊ぼう

    todoroki_01


     等々力不動尊(とどろきふどうそん)は、等々力渓谷(とどろきけいこく)とよばれる静かな渓谷の先端に位置します。
     今から900年近く前に、興教大師(※)が夢のお告げで開いたとの言い伝えがある不動尊です。昔から修行僧の滝行が行われていた霊場で、東京23区で最も人口の多い世田谷区とは思えないほど、自然を感じさせる場所です。四季折々、様々な草木で目を楽しませてくれますが、春の桜も有名ですが、秋も23区で随一と言えるほど紅葉が綺麗です。ただ、その割に訪問者数はそれほど多くはないので、穴場と言えます。


    ※興教大師と「きりもみ不動伝説」
     興教大師(こうぎょうだいし)は、覚鑁(かくはん)とも言い、凄まじい生き様の方だったようです。大治3年(1130年)35歳の頃、覚鑁は、空海以来の才といわれ、後鳥羽上皇からも手厚い庇護を受けていました。
     しかし、その頃の真言宗は、下の僧は信心が薄く、上の僧は権力抗争に明け暮れる有り様でした。翌年、覚鑁は、このような真言宗の腐敗を嘆き、立て直しを図ります。
     これに反発した僧たちは、長承3年(1134年)、覚鑁が居を構えていた金剛峯寺の密厳院を急襲しました。ところが、乱入した僧達が懸命に探しても、覚鑁はどこにもいません。しかし、本来は1体しかない本尊の不動明王が2体あることに気づきます。そこで、キリで刺して血が出た方が、覚鑁であろうと考え、1体ずつ刺してみようしますが、不動明王は炎で近づくものを阻みます。僧達はやっとのことで、両方の不動明王を刺すことができますが、今度は両方から血が流れ出てきました。「覚鑁は、不動明王に守られている。これはマズイぞ!」と考えた僧達は、恐れをなしてお堂から逃げていき、覚鑁は一命を取り留めたとのことです。これが「きりもみ不動伝説」とよばれるものです。


    東急大井町線 等々力駅からの行き方


     東急大井町線 等々力駅を降りて、二子玉川方向に向かって左手に進みます。暫くすると、右側にスーパーの「成城石井」が見えてきますので、そこを過ぎてすぐ右の道に入りま。すると、小さな橋がありますので、その橋の左側に等々力渓谷の入り口があります。等々力駅から、ほんの3分ほどの距離です。
     等々力不動尊への直行ルート(※)もありますが、出来れば、大都会の中のこの自然を満喫しながら辿り着くこのコースをお勧めします。


    ※直行ルート
     成城石井で横道に入らず、そのまま直進すると、環八に当たります。環八もそのまま横切り、さらに進んで行くと、右側に等々力不動尊の山門があります。駅から約10分程度の距離です。


    等々力渓谷へ…ゴルフ橋


    todoroki_02 10mほど階段を降りていくと、もう等々力渓谷(※)に到着です。周囲の住宅地とは打って変わり、静かに谷沢川(やざわがわ)が流れていて、そこはもう別世界です。急に心が落ち着いて来るのを感じます。
     振り返って見ると、先程降りてきた階段のところにあった「ゴルフ橋(※)」が見えます。周囲の緑に橋のアーチの赤い色が映え、とても綺麗です。行きかう人は、それなりにいるのですが、静かな渓谷です。谷沢川のせせらぎの音や、野鳥の声が聞こえてきます。また、カモが気持ちよさげに浮かんでいるのも見かけます。


    ※等々力渓谷
    todoroki_03 等々力渓谷は、国分寺崖線(こくぶんじがいせん)と呼ばれる崖線の最南端に位置している多摩川に注ぐ長さ1Kmほどの渓谷です。国分寺崖線は、武蔵野台地が古代多摩川の浸食され出来た崖を指します。武蔵村山市、国立、国分寺、深大寺、砧を通り、ここ太田区まで続きます。高低差は10~20mで、その長さは30Kmにも及びます。


    ※ゴルフ橋
     この辺り、戦前は、昭和の初め頃に東急電鉄により開発された広大なゴルフ場があり、渓谷を渡るための木の橋が架かっていました。昭和36年(1961年)にかけ替えられたらしいのですが、ゴルフ場があったことに因んで、そのまま「ゴルフ橋」と呼ばれているとのことです。

    todoroki_05

     


    稚児太子御影堂


     右岸(※)に渡る橋を通って、暫く下流に向かって歩くと、都内でも屈指の交通量を誇る環八に架かっている玉沢橋が見えて来ます。その下を潜り、さらに進みましょう。すると、右手にという小さなお堂が見えてきます。「稚児太子御影堂(ちごたいしみかげどう)」です。稚児大師とは弘法大師(空海)の幼い時の呼び名とのことです。5~6歳の頃、毎晩のように、蓮華に坐って仏たちと言葉を交わしている夢を見ていたとの言い伝えがあり、その様子を表しているらしいです。それにしても、昔の偉人たち、特に僧侶の方たちは、幼い頃よりずば抜けた才があったとの言い伝えが多いですね。近くに置かれた石板によると、この像は、昭和50年(1975年)に製作されたと書かれていました。

    todoroki_06


    ※右岸、左岸
     河川を上流から下流に向かって眺めた時、右側を右岸、左側を左岸と言います。


    日本庭園


    todoroki_07 次に左岸に渡る橋が見えますが、そこを一旦通り越してしまいます。すると日本庭園の入り口があります。(日本庭園をスキップしたい方は、次に不動の滝に行ってください。)
     なかなかの門構えなので、「料亭では?」と勘違いしそうですが、無料の庭園です。地形をうまく利用した庭園で、丘陵にそって、石畳、池などが巧に配置されています。昭和48年(1973年)に造られたものとのことです。頂上には、さらに昔からあった書院と芝生が敷き詰められた場所もあり、先ほどまでの渓谷の自然とは違う意味での、くつろげる「和の空間」となっています。ここをぐるっと一周して、元の渓谷に戻りましょう。

     


    不動の滝


     日本庭園から等々力渓谷に戻り、上流に戻ります。すると、向かって右側に渡る橋があります。「利剣の橋(※)」と言います。
    橋を渡ると、稲荷社があり、左側に2筋の滝が見えます。これが、等々力不動尊の大元の「不動の瀧」です。昔は、辺りに轟くほどの轟音だったので、この辺りを「とどろき」ということになったとの言い伝えがあるほどの水量だったらしいのですが、今は、僅かな水量になっています。しかし、900年近く前からずっと絶えることなく、流れ続け、昔の人と同じ場所で、同じ瀧を眺めていると思うと、小さな水音でも感慨深いものがあり、心が静まってきます。

    todoroki_08


    ※利剣の橋
     利剣の橋の「利剣」とは、鋭利な剣と言う意味もあるのですが、ここでは、煩悩や邪悪なものを打ち破る智慧(仏法)という意味で使われています。


    本堂に上る階段


    todoroki_09 次は、いよいよ本堂に向かいます。石段を登って行くと、その途中に茶屋もあります。また、さらに登って行くと、今度は左側に、「 神変窟」があります。ここでは、役の行者が祀れています。さらにいくつかの石碑を横切り、登って行くと、そこから渓谷を眺められる踊り場のようなところに出ます。秋だとここから眺める紅葉は最高です。ここまで来ると、もうすぐ本堂です。

    todoroki_10

     


    等々力不動尊 本堂


    todoroki_11 せっかくだから、一旦、山門に戻って入り直します。参道の中央にお香が焚かれていて、厳かな雰囲気がしてきます。その奥が等々力不動尊の拝殿となっております。また、拝殿の右側には、お札やお守りも販売しております。

     

    todoroki_01


    最後に


     それにしても、こんなところが23区に残っているとは!!とても素晴らしいことです。是非、四季折々に行ってみることをお勧めします。
     また、周囲には、今回の等々力渓谷にある「谷沢川」と「丸子川」との非常に珍しい「川の立体交差点」、「野毛大塚古墳」「御岳山古墳」などの古墳群、そして変わった石像が並ぶ「善養密寺」もあり、見どころ満載です。時間があったら是非、他のところも訪ねてみてください。


    珍しい川の立体交差

    変わった石像が並ぶ「善養密寺」

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。

    Translate »