品川神社は、非常に歴史の古い神社です。平安時代末期の文治3年(1187年)に、安房国の「洲崎明神(※)」の「天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)」を勧請して祀り、当時は「品川大明神」と呼ばれていました。以降、海上交通安全と祈願成就の守護神として、「北品川の鎮守(※)」として、長く親しまれてきました。明治元年(1868年)には、「准勅祭社」となり、昭和50年(1972年)には「東京十社」の内の一社にも指定されています。境内はそれほど広くは無いのですが、「富士塚」や「一粒萬倍の泉」を始め、非常に見所の多い神社です。
※「洲崎明神」
安房国の「洲崎明神」とは、現在の千葉県館山市鎮座にある「洲崎神社」の事です。祀られている「天比理刀咩命」は、天岩戸の神話で有名な女神です。「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」の乱暴に心を痛めて天岩戸に隠れた「天照大神(あまてらすおおみのかみ)」を誘い出すために、踊ったのが天比理刀咩命とされています。
※北品川の鎮守
品川神社に対し、南側には「荏原神社」があります。そちらは「南の天王さん」と呼ばれ、品川の南側の鎮守です。
品川から京急線で2駅目で、新馬場駅の北口から徒歩約1分です。京急線に乗って来ると、駅の手前右手に、小さいけど結構迫力のある山が見えます。そこが、品川神社です。
境内入り口には、両方の柱に龍が刻まれた石鳥居「双龍鳥居(※)」があります。大正14年に造られました。左の柱には昇り龍、右の柱に降り龍がそれぞれ彫刻されていて、なかなかの迫力です。
また、鳥居の横には「東海七福神(※)」の一つ「大黒天」の石像も並んでいます。
※双龍鳥居
この「双龍鳥居」は、大変珍しく、東京でも高円寺(杉並区高円寺3-7-15)と馬橋稲荷神社(杉並区阿佐ヶ谷2-4-4)にしかありません。品川神社の鳥居と合わせて、「東京三鳥居」といわれています。
※東海七福神
昭和7年(1932年)に品川が大東京に編入された記念として東海七福神が定められました。品川神社は、大黒天です。毎年、元旦~1月15日まで七福神巡りが出来ます。北品川から大森まで約4.5㎞を旧東海道のコースを歩きます。
鳥居をくぐると53段の階段があります。6月の例祭は「北の天王祭」と呼ばれ、この53段の階段で神輿を担いで上り下りします。それにしてもよくこんな急な階段を行き来出来るなぁと、変なところで感心してしまいます。注意して登りましょう。
階段の途中には、「江戸七富士(※)」に一つに数えられる「品川富士」の入り口があります。一合目には、猿田彦命が祀っている小さな祠があり、わらじが奉納されています。これは、わらじ祭りが、申の日に行われることから、猿田彦命には災厄が去る神という意味があるためです。四合目まで石段で続き、五合目で一旦平坦な道に出ます。
六合目からは、傾斜も急な上、右側についている鉄柵がぐらぐらしているので、ちょっと恐いです。ただ、ほんの少しですが、登山ぽくて富士山に登っているなぁという感触を味わえます。山頂に出ると、非常に良い見晴らしです。高架を通る京急電車が良く見えます。
帰りは、反対側に出る道がありますので、そこから下山しましょう。ちょうど、品川神社の摂社の富士浅間神社の裏手に出ます。
※江戸七富士
江戸七富士の一つに数えられる品川神社の富士塚ですが、実は明治2年(1869年)に造られたものです。富士山の本物の溶岩を使い造られました。ただ、神仏分離政策で一旦破壊されます。しかし、明治5年(1872年)に再建され、さらに大正5年(1922年)に第一京浜国道建設の際に今の場所に移転されたとのことです。
本殿手前の左手に手水舎があります。なぜか、手水鉢の左奥に「かっぱ」らしきものが、手前右下には「亀」がいます。ここでお清めしてからお参りしましょう。
また、本殿の両脇には、「狛犬」がいますが、両方とも子の狛犬とじゃれあっている姿をしていて非常に微笑ましい石像です。是非、じっくり見てください。
本殿は厳かで落ち着いた雰囲気です。しっかりお参りしましょう。
実は、品川神社の一番人気がこの「一粒萬倍の泉」です。本殿の右脇の沢山の赤い鳥居の先に「阿那稲荷神社」の上社があります。お参りを済ませ、さらにその右奥に続く赤い鳥居をくぐりぬけて階段を下りていくと、今度は「一粒萬倍 阿那稲荷神社」と書かれた下社があります。
先ほどの上社とは、雰囲気がかなり異なり、非常に神秘的な感じがしてきます。両脇にいるお狐様の脇を抜けて、社殿に入っていくと、左と奥に複数の神社が並んでいます。
その左奥に「一粒萬倍の泉」があります。先ほどの上社は「天の恵みの霊」、下社は「地の恵みの霊」ということです。この泉で、お金や印鑑を洗うと、一万倍になるということで、私も所得アップを願って、持っているコインを全て洗わせて頂きました。また、この霊水をペットボトルに入れ、家中のコインや印鑑を洗う猛者もいるとのことです。今度来るときは、ペットボトルを忘れずに持って来ようと思います。
本殿に向かって手前右側には、「祖霊社」「神楽殿」「御嶽神社」が並んでいます。祭事や催し、工事などがなければ、神楽殿の周りに車を停めることが出来るスペースがあります。但し、4~5台程度なので、基本、京急線の利用をお勧めします。その他にも、「包丁塚」や江戸火消の「纏(まとい)」の記念碑などもあり、興味がつきません。
寛永14年(1637年)、3代将軍の徳川家光により東海寺が建立され、品川神社はその鎮守と定められました。東海寺は、あの有名な沢庵和尚のため、家光が開山したお寺です。「板垣退助の墓」は、その東海寺の塔頭の高源院の境内にあったのですが、世田谷区に移転してしまったため、現在では、品川神社の裏手にひっそりと残っているのみです。
品川神社は、慶長5年(1600)、徳川家康が関ヶ原の戦いへ出陣の際に戦勝を祈願して参拝した神社です。ご存知の通り、この祈願は成就し、家康は御礼として「天下一嘗(ひとなめ)の面」と「神輿(葵神輿)」を奉納しました。特に「天下一嘗の面」は、毎年6月(※)の例大祭の時に神輿につけられることで有名です。当然、レプリカとの事ですが、その時は、宝物殿も開帳され、実物を見ることが出来るとのことです。
※6月の例大祭
毎年、6月7日に近い日曜を含む金・土・日曜日に行われます。