江戸時代の町民は、使える資源も富も限られていましたから、物が壊れても新しく替え替えたりせず、修理していました。勿体無いとか考えて、そうしたわけではなく、圧倒的にそうしたほうが安かったから自然とそうなったわけです。結果、色んな日用品に対応して、さまざまな修理屋が存在しました。今日は、そうした修理屋の中から代表的なものについてのお話しです。
元々、瀬戸で焼かれた陶器を瀬戸物と呼んでいたのですが、江戸では陶器全般を瀬戸物と呼んでいました。物が陶器ですから、使っているうちに欠けたり、割れたりします。現在だと、次の水曜日の割れ物のゴミを出す日まで、家に置いておき、水曜日が来たら捨てることになるのですが、江戸では2日も待てば、瀬戸物継ぎが、廻ってきて修理をしてくれました。焼き継屋とか焼き継士とも言いました。白玉粉といわれた鉛ガラスを溶かして、割れた陶器を接着していました。そして、仕上げに再度焼き上げていました。こうして修理された瀬戸物は今までと変わりなく使うことができました。
当時の鍋や釜は、すが入りやすく、ヒビ割れで穴が空くことがよくありました。ただ、金属製のものは当時、非常に高価だった為、おいそれと買い換えはできませんでした。従って、これを修理をする鋳掛屋という商売が繁盛していました。彼らは、七輪や鞴(ふいご)を携えて歩いて廻ります。そして、その場で、鍋や釜の補修を行っていました。
最近のタバコは、紙巻きタバコから電子タバコになって来ていますが、江戸時代は煙管(きせる)でタバコを吸っていました。煙管とは、刻みタバコを入れる雁首の火皿と吸い口の金属部を羅宇と呼ばれる管で繋いだ喫煙具です。両端は金属製なので耐久性があるのですが、真ん中は竹で出来ていましたので、ヤニが詰まったり、ひびが割れたりしました。この交換や掃除をしてくれていたのが羅宇屋です。手間賃は非常に安く、8文から10文程度だったと言われています。珍しい物では、金属だけで作られた大変ゴツい喧嘩煙管という物もありましたが、、、当時の煙管や喧嘩煙管は、JTさんが運営する「たばこと塩の博物館」に行けば、実物が見れます。押上(スカイツリー前)駅や東京スカイツリー駅から行けますので、近くの方は是非。
下駄、足駄(あしだ)の歯の差し替えや鼻緒のすげ替えをしていました。朴歯屋(ほうばや)とも呼ばれていたようです。ちなみに足駄とは、雨で道がぬかるんでいる時などに履く高い歯の下駄のことです。高下駄とも言います。「足駄を履いて首っ丈(たけ)」という古い言い回しがありますが、これは「足駄を履いても首まで浸かるほど惚れてしまうこと」を言います。
「箍を外す」って言葉は知っていますか?最近ではあまり使われなくなって来ましたが、「規律や束縛から抜け出すことや羽目を外す」などの意味で用いられる言葉です。箍とは、桶や樽の周りを締める竹で編んだ輪っか(竹輪)を言います。使い続けていると桶や樽のこの箍が緩んで来て、板が外れてしまいます。この箍の付け替えをやってくれる業者を箍屋又は輪替えとも言いました。
曇った鏡の表面を砥石で磨いて、水銀などを塗り、輝きを取り戻して廻る職人です。現在のガラスに銀メッキの耐久性が高い鏡と違い、当時は青銅に水銀をメッキしたもので、暫く使うとまた曇ってしまいました。従って繰り返し鏡を研いでもらっていたのです。
その他にも、雪駄直し、臼の目立て、包丁などの刃物の研ぎ屋、提灯張り替え、錠前直し、算盤屋、印肉の詰め替え、炬燵の櫓直し、眼鏡の仕替えなどなど、日常生活で使われるありとあらゆる物の修理屋がありました。こうして、江戸の人々は役割を細かく分断して、支え合いながら、つましくも快適に生活していたのです。
特集「江戸のリサイクル」
第1回:江戸のリサイクル1…こんな昔に再生紙
第2回:江戸のリサイクル2…灰買いとは
第3回:江戸のリサイクル3…ゴミの行方
第4回:江戸のリサイクル4…江戸の町は化学工場
第5回:江戸のリサイクル5…修理屋
第6回:江戸のリサイクル6(最終回)…回収業者