2017年、「XXX 漢字ドリル」が空前のブームです。つまらない漢字のお勉強を、小学生が最も喜ぶお下劣なギャグに結びつけて飽きさせないところが、目からウロコです。3000以上の例文全てに、この三文字が出てくるというから傑作ですね。今日はそんなの三文字がテーマのお話しです。
西洋の大都市においても、以前は人間の排泄物の始末には手を焼いていました。道に排泄物を投げ捨てていたとのことで、不潔極まりない状況でした。また、その後、下水道が整っても、ただ川に流すだけの方法が一般的でした。20世紀になってやっと大都市で浄化処置をし始めるのですが、第一次世界大戦の後とのことです。なんと、しっかり対策され始めたのは、ここ100年のことなんですね。しかし、当時の大都市の1つだった江戸は違っていました。
当時の町民のほとんどは、長屋住まいでした。共同トイレがあって、みんなそこで用を足していました。また、大名屋敷や商家にはトイレが備え付けられていました。そして、そこにため込んでいました。百万もの人口だった江戸では、西洋と同じく、さぞかし凄惨な状況だったかと言うと全くそんなことはありませんでした。
実はそれらは下肥(しもごえ)と呼ばれ、農家や仲買により、回収されていたのです。しかも買い取りという形で、回収する側がお金支払ったり、農家だと大根などの野菜と交換していました。ちょっと驚きですが、回収してもらうのに、お金を貰えていたのですね。下水道代を請求される現在とは正反対だった訳です。長屋だと大家(おおや)がそのお金を手にしていました。「店中(みせぢゅう)の尻で餅をつき」なんて川柳があります。長屋のことを当時は裏店(うらだな)と呼んでいました。つまり大家は、そこの住人のお尻で、正月の餅代を稼いでいたという意味ですね。また、公衆トイレまで自費で作って回収していたと言うから驚きです。さらに、武家屋敷や大店などでは、競りにまでかけられて売買されてりもしていました。
それでは、なぜ競りをしてまで農家は、そんな物を買い取っていたのでしょう。特に武家屋敷だと、食べ物が良いので、残っている栄養分も良いものになります。従って、一般の長屋より上質な肥料となります。結果、農家は争って手に入れようとしていました。このように、農家は肥料を使って野菜を作り、江戸の町民や武士はその野菜を食べて肥料を作るという、循環型社会がきれいに成立していたのです。江戸の町は今でいう肥料を生産する化学工場のようなものだったのです。
そう言えは、当時、トイレは、雪隠(せっちん)、厠(かわや)などと、呼ばれていました。
なぜ、雪隠と言うようになったかは色んな説があるのですが、1番有力なものは、その昔、中国の雪竇山の霊隠寺というお寺でトイレ掃除を担当していた僧が悟りを開いたことからという説です。今でも「トイレの神様」とかいう話がありましたが、昔も人の嫌がる仕事をすることにより、心の持ち方が変わるという考え方があったのですね。
もう1つの厠ですが、これも中国の言葉です。かわやと発音されるのは、川の上に小屋を建てて、そこで用を足していたからと言う説が有力です。また、「こうや」とも発音され、高野山参りにかけて、トイレに行くことを「こうやまいりに行ってくる」とも言っていたとも聞きます。英語でも、ショートトリップと言いますので、感覚が似ていて面白いですね。
特集「江戸のリサイクル」
第1回:江戸のリサイクル1…こんな昔に再生紙
第2回:江戸のリサイクル2…灰買いとは
第3回:江戸のリサイクル3…ゴミの行方
第4回:江戸のリサイクル4…江戸の町は化学工場
第5回:江戸のリサイクル5…修理屋
第6回:江戸のリサイクル6(最終回)…回収業者