• 江戸を学び、江戸で遊ぼう

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     目黒不動の正式名は瀧泉寺(りゅうせんじ)と言い、山号は泰叡山(たいえいざん)で、天台宗の寺院です。創建は、驚くほど古く、大同3年(808年)に円仁(※)が比叡山に赴く途中で不動明王を安置した事に始まるとされています。関東最古の不動尊であり、日本三大不動尊(※)の一つでもあります。また、江戸の頃より、江戸五色不動(※)の1つとして親しまれてきました。


    ※円仁(えんにん)
     円仁(慈覚大師ともいう)は、延暦13年(794年)生まれとされていますので、不動明王を安置したのは、僅か15歳の時ということになります。なんだか凄すぎますね。比叡山では、最澄に師事しましたが、非常に優秀だったようで、短期間で師の代講を唯一任せられるようになったという言い伝えもあります。


    ※日本三大不動尊
     熊本の木原不動尊、成田の成田不動尊、そして、この目黒不動尊が日本三大不動尊とされています。


    ※江戸五色不動
     三代将軍徳川家光が天海僧正の進言により、5色の不動尊を選んで、江戸城の鬼門を守ることにしたのが始まりとされています。五行思想の5色の白黒青赤黄からなり、それぞれの色に対応したお不動様が居ます。なお、目黄不動は2箇所にあります。
     ・目黒不動 龍泉寺(目黒区 下目黒)
     ・目白不動 金乗院(豊島区高田)
     ・目赤不動 南谷寺(文京区本駒込)
     ・目青不動 教学院(世田谷区太子堂)
     ・目黄不動 永久寺(台東区三ノ輪)
     ・目黄不動 最勝寺(江戸川区平井)


    目黒不動前駅からの行き方


    megurofudou_03 一番近い駅が東急目黒線の目黒不動前駅です。ただ、10分弱程度歩きます。目黒方面からだと、電車の進行方向右側の商店街を抜け、「かむろ坂通り(※)」に出ます。そのまま横断して、オオゼキ目黒不動前店の横の道に入り、直進します。1本目の角を左折して、暫く直進すると、右側にお寺の塀が続きます。その塀が途切れたところで、右折して直進すると、目黒不動の門前に到着です。


    ※JR目黒駅から
     JR目黒駅からも行人坂経由で行けます。ただ、ある程度距離があるので、GoogleMapなどを参照しながら、行くことをお勧めします。


    ※かむろ坂通り
    megurofudou_04 「かむろ」とは、江戸時代の吉原で、高級な遊女に仕え、修行をしていた6から12歳くらいまでの少女たちのことです。幼馴染の後を追い、自害した遊女を探しに来たお付きのかむろが、この辺りで暴漢に襲われ、池に身を投げたとの言い伝えが残っています。哀れんだ近隣の者たちが、この辺りをかむろ山と言い始め、やがてそこに通じる坂をかむろ坂と呼ぶようになったということです。
     ただ、その悲しい言い伝えとは裏腹に、春になると、この坂は、両側に植えている桜が一斉に咲いて、長い長い桜のトンネルを作ります。通る人や車を桜色に照らし、明るい気持ちにしてくれます。


    仁王門


    megurofudou_02 商店街を抜けると、目黒不動の楼門が見えてきます。門の手前左側には比翼塚(※)があり、門の直前両側には狛犬が鎮座しています。また、門の左右には、仁王が配置されています。朱色の門は、青空に良く映え、鉄筋コンクリートながら、そのシンメトリーが美しく、迫力もあります。


    megurofudou_05※比翼塚(ひよくづか)
     江戸の初めの頃、辻斬りの罪で処刑された鳥取藩士の平井権八の後を追って、吉原の遊女小紫が後追い心中をしました。目黒不動の門の手前左手にある「比翼塚」は、そんな二人哀れんで建てられたとされています。


    独鈷の滝と水かけ不動


    megurofudou_06 門を入って左手奥に、目黒不動の見どころの一つの「独鈷(とっこ)の滝」があります。小さな泉があり、その正面と左手に2体の龍がいて、その口から霊水を吐き出しています。
    megurofudou_07 言い伝えによると、円仁が寺を建立する場所を決めようと、手にした独鈷を投げたところ、その仏具が当たった場所から二筋の水が吹き出したのが始まりとされています。その後、滝行の場として、修験者たちや一般の人にも使われてきました。(現在では、禁止されているようですが、、、)
     また、独鈷の滝の右側には「水かけ不動」がキリッと立っています。合掌した後、霊水を柄杓でかけると、心が洗われるとのことですので、是非やってみましょう。


    大本堂


     「男坂」の右手には、「鷹居の松(※)」があります。この急な男坂を登っていくと、大本堂に到着します。仁王門と同じく、こちらも鉄筋コンクリートの造りではありますが、なかなか趣きがあり、立派な建物です。天井には大正から戦後にかけて活躍した日本画家の川端龍子(りゅうし)の「波濤龍図」が描かれており、ユーモラスでもあり、なかなかの迫力です。
     裏手に行くと、木々が茂り、ところどころに仏像が配置された落ち着いた空間が展開されています。特に非常に大きな銅製の大日如来像は目を引きます。天和3年(1683年)に造られたとのことで、一見の価値ありです。


    ※鷹居の松
     三代将軍家光が、鷹狩りにこの辺りに来た時、可愛がっていた鷹が行方不明になってしまいます。家光がこの目黒不動尊に祈願したところ、すぐに本堂前の松の樹(この松を「鷹居の松」と言います。)に飛び帰ってきたと言い伝えられています。その後、家光は、御礼に五十三棟もの大伽藍を造立します。以降、歴代の将軍も参詣するようになり、「目黒御殿」と呼ばれるようになったとのことです。


    江戸の三富、秘仏など


     その他にも目黒不動には、様々なエピソードがあります。
     まず、富くじ(現在の宝くじ)の話です。江戸時代、幕府は特定の寺社に対して、普請のため、富くじを開催し、資金を収集することを許可していました。特に谷中の感応寺、湯島天神、そしてこの目黒不動は「江戸の三富」と呼ばれ、非常に盛んだったということです。
     次が「秘仏」の話です。ご本尊は12年に一度、酉年の10月~11月頃の酉の日に開帳されます。この仏像は、目黒不動を開いた円仁が自ら彫ったと伝えられています。2017年に開帳されましたので、次は2029年ですね。結構、遠い先ですね。


    前不動、勢至堂など


     行きは男坂を登ってきたので、帰りは「女坂」から帰ってみましょう。坂の途中に穴が穿っていて、「神変大菩薩(役行者(えんのぎょうじゃ))」が祀られています。降りて、右手に行き、先ほどの独鈷の滝を通り過ぎると朱塗りの「前不動」があります。これは、将軍がお参りに来た際に、庶民が変わりに参るところとして作られたとされています。また、その先には、勢至菩薩像が安置されている「勢至堂」もあります。


    最後に


     目黒不動の裏手には、甘藷先生で有名な青木昆陽の墓があり、毎年10月28日には、甘藷祭りが行われます。(青木昆陽とは、さつまいもの栽培を広め、食糧難から日本人を作った江戸の偉人です。)
     また、周辺には、有名なうなぎ屋を始め、三福堂(弁天堂)、五百羅漢、蛸薬師、大鳥神社などもあり、ここ目黒不動の周辺は、まだまだ見どころが沢山あります。時間があったら、是非色々な場所を訪問してみてください。



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