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    国芳「東都御厩川岸之図」
    国芳「東都御厩川岸之図」(出典:ウィキメディア・コモンズ )パブリック・ドメイン

    東都御厩川岸之図


    歌川国芳は江戸後期を代表する浮世絵師の一人です。今日は、 その国芳が晩年描いた「東都御厩川岸之図」( とうとおんまやがしのず)という浮世絵の話です。 土砂降りの雨の中、一つの傘にギュウギュウに三人で入る者、 余分な傘を携えている者、 あきらめたように濡れたまま歩く者と三様の光景が一枚の浮世絵に 活写されている傑作です。国芳「東都御厩川岸之図」


    傘を携えて歩く者がさしている傘をよーく見ると「千八百六十一番」と数字描かれているのがわかります。
    ‼ここで問題です。‼
    国芳はなぜ傘に数字なんか描き入れたのでしょうか?


    1. 当時浮世絵は高価で偽造が絶えなかった。それで、偽造を防ぐため、浮世絵の通し番号として一枚一枚別の番号を入れた。
    2. 国芳は自身の没年が1861年である事をわかっていた。破天荒な国芳は、シャレで浮世絵の中にそれを隠しておいた。
    3. 当時あった大きな商店が宣伝のため、 通し番号の入った傘をお客さんに貸していた。これは、 単にその情景を描いただけである。

    当時の三井越後屋(現在の三越)は、店の宣伝のため、 誰にでも無料で傘を貸していました。 しかもこの番号からもわかるように大量に準備していたようです。 雨が降ると江戸の町は、 一斉に三井越後屋の傘だらけの町に変貌するという仕掛けです。このようにして、 お客さんに営業させるという大胆な施策を行なっていたのです。 今で言うiphoneやマックの裏側にアップルのロゴが入ってい て、使っている人に宣伝させてる仕掛けと同じですね。それを遠い昔の江戸で思いつき、やっていたとは恐れ入ります。

    つまり、答えは、3です。

    「江戸中を越後屋にして虹が吹き」 などという川柳が残っていますが、 その情景が目に浮かぶようです。僕たちも200年後の人からすごい事やっていたんだなぁ〜 と言われてみたいですね。ちなみ唐傘の事を番傘と言いますが、 この番号の番から来ています。まさにマーケティングの天才のなせる技ですね。


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