• 江戸を学び、江戸で遊ぼう

    葛飾 北斎
    葛飾 北斎(出典:ウィキメディア・コモンズ)パブリック・ドメイン

    江戸の巨人


    北斎は、絵画において、江戸時代で、いや日本史上最高の巨人と言っても過言ではないと思います。ちなみに背も高く、180cmほどもあったらしいですが、、、とにかく多種多様、そして多作な人で、生涯の作品数は、実に3万点とも言われています。これは、毎日1枚ずつ描いても82年かかる計算になります。驚きの作品数ですね。もちろん、単に数が多いだけではなく、「神奈川沖浪裏」や「凱風快晴」などの連作「富嶽三十六景」は、日本だけではなく、海外でも超有名な連作集です。また、200人はいたと言われる弟子たちに教えるのが面倒で作った「北斎漫画」、今で言うデッサン集のようなものもあります。ただ、これも単なるデッサン集には収まらず、当時の万物を活写している貴重な資料集になっています。現在の漫画やアニメと同レベルではないかと思えるほど、動きや構図にも工夫を凝らした作品集でもあります。


    冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」
    北斎 冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」(出典:ウィキメディア・コモンズ )パブリック・ドメイン

    私生活は

    しかし、私生活に関しては、かなりの変人で、衣食住には、全く無頓着だったようです。画材や書き散らした絵、そして食べ物で部屋がいっぱいになると、引越しを繰り返していました。生涯の引越し回数は、実に93回とも言われています。なんと、1日に3回引越した時もあったそうです。引越しは江戸内にとどまらず、豪商の高井鴻山の援助で、遠く信州の小布施(おぶせ)までも何回か行っています。この時も祭り屋台の天井図「怒涛図」なんて傑作を残しています。


    お金にも無頓着だったらしく、集金に来た米屋に今しがた受け取った画料の入った袋をそのまま渡すなんて事もありました。ただ、画家としてのプライドは高かったようで、シーボルトから半額に値切られた時、頑として受け付けなかったという逸話も残っています。また、将軍家斉の御前で、長い唐紙に青い線を引き、足に朱色の絵の具を付けた鶏を歩かせ、「竜田川の紅葉でございます。」と言った嘘のような人を食った話も、権威を全く気にしない北斎らしいエピソードとして残っています。


    長生きだった・・・画狂老人

    嘉永2年4月18日に死去。享年89歳でした。死を目前にした北斎が、「あと5年の間長らえることが出来たら、本物の画工なれたのに」と言って息を引きとったとのエピソードも、自ら画狂老人と名乗っていた北斎らしい話ですね。


    百日紅

    北斎に興味がある方は、沢山の書籍や展示、WEBサイトがありますが、特に故 杉浦日向子さんの「百日紅(さるすべり)」という漫画がお勧めです。やはり画家として有名だった三女の葛飾応為(おうい)との共同生活が描かれています。破天荒な北斎と独特な視点を持つ応為との掛け合いが非常に面白い味わい深い作品です。ちなみに応為という名前は、北斎が用事がある時、「おーい」と呼んでいたからだと言われています。

    百日紅 (上) (ちくま文庫)

    百日紅 (下) (ちくま文庫)



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