江戸時代末期を代表する浮世絵師は、北斎と国芳、そして広重の三人だと個人的に思っています。他の二人が破天荒な印象に対し、この広重は真面目な印象で、巧みな構図や斬新な企画などテクニカルな面が目立ちます。ただ、私は、広重が、他の二人よりも優れた点は、一度見ると目に焼き付いた離れない巧みな構図と抒情性にあると思います。雨に煙る大橋、雪の湯島天神や蒲原などなど、高レベルな表現、本当に素晴らしいです。
もともとは、江戸の定火消しで、幕府の同心でした。ところが絵が好きでたまらなかったのか、26歳の頃、家督を譲って、絵に専念するようになります。
花開いたのは、天保3年に出版された「東海道五拾三次」からで、およそ35歳の頃です。このシリーズでは、構図や表現方法、色使いが飛躍的に進化し、旅への憧れが高まった当時の風潮にも乗り、爆発的なヒットとなりました。ちなみに五拾三次とは、東海道にあった宿場の数を表します。出発の日本橋と到着の京都を合わせ、55枚の版画で構成されています。最近でも、永谷園のノリ茶漬けのオマケとして、復刻されましので、知っている方も多いのではと思います。55枚の中でも、特に日本橋と雪の蒲原は有名です。一度は見る価値ありです。
その後、数々の名画を残しますが、特に大ヒットしたのは、安政3年から5年にかけて発表された「名所江戸百景」です。このシリーズでは、風景画としては非常に珍しい縦の構図を採用し、遠景と近景の巧みな配置で、季節ごとの江戸の風景と風物を組み合わせ表現しています。
広重が浮世絵で使った藍色は、アメリカやヨーロッパでは、広重ブルーと呼ばれるほど有名で、高い評価を受けていました。安政5年9月6日死去。享年61歳。死因はコレラだったとの事です。広重の代表先の一つ「東海道五拾三次」は、実は未来を予言していると仮説を立てた本があります。国芳と同様、広重もオカルティックに捉えている方がいて面白いですね。