徳川家康は、天正18年(1590年)江戸へ入府しましたが、この神社は、もうその時には既にあったと言われています。また、寛政年間に移転する際に、尾張藩より拝領した場所が、種々な花が咲き乱れる花畑だったことから、「花園稲荷神社」と呼ばれるようになったと伝えられています。新宿の総鎮守でもある上、境内には、芸能を司る「芸能浅間神社」もあり、日本の芸能においても一翼を担っています。
新宿三丁目のE2出口を出て、すぐ左側に花園神社の大鳥居があります。徒歩0分です。また、新宿駅からだと、徒歩7、8分程度はかかります。google mapなどで調べてみてください。新宿ゴールデン街のすぐ裏辺りです。実は、そちらからの入り口もあります。また、靖国通りからだと、伊勢丹のある交差点で左折し、明治通りを東新宿方向に歩くと直ぐです。
大きな朱塗りの鳥居から入ります。右側に「花園稲荷神社」と書かれた石柱が立っています。朱塗りで統一された左側に続く「神輿庫」と「威徳稲荷神社」の鳥居の間を抜け、まずは、左手にある「手水舎」で手と口を清めます。
その先に花園神社の拝殿があります。裏手には高いビルが殆ど無く、晴れた日は、青い空に朱色の拝殿のコントラストがきれいです。こんな大都会の中にこんな落ち着いた空間があるとは、本当に驚きです。
ただ、11月の酉に日は、様変わりし、熊手などを求める60万もの人で賑わうとのことです。関東の三大酉の市の一つだといわれています。
先ほど、花園神社の拝殿に来る時に脇を通った「威徳稲荷神社」に戻りましょう。昭和3年(1928年)に建てられたとされています。縁結びや子宝に恵まれるということで、若い女性やカップル、ご夫婦に人気とのことです。その理由は…、鳥居の社名が書かれた額の上の木製の物や裏手に行くとある石製の物を見るとわかります。撫でるとご利益があると言われています。
本来は、古くなったお札やお守りを納める場所です。ただ他の神社と違う点があります。それは、「腹のたつ事なども当神社にお納めください。」と左側に札が立っているところです。是非、ここは、日頃、うっぷんに思っていることをしっかり納めておきましょう。
大鳥居のすぐ右側には、「芸能浅間神社」があります。花園神社は、江戸時代から見世物や芝居などを行ってきたことに関係があるそうです。また、昭和の時代も唐十郎が境内で芝居小屋をやったことでも有名です。鳥居の両脇には、「八代亜紀」「中川翔子」「DEEN」などの有名な芸能人の札が沢山掲げられていて壮観です。さらに、社殿の右側にはあの宇多田ヒカルの母親でもある藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」と刻まれた石碑もドーンと立っていました。芸能関係の方は是非お参りしていきましょう。
帰りは、南側の鳥居から出てみましょう。鳥居のちょっと手前には、対の唐獅子が居ます。通常、神社は狛犬、稲荷社は狐なので、非常に珍しいですね。新宿区有形文化財に指定されているとのことです。普段は、網で囲まれていたような記憶があるのですが、この日は、例大祭のための屋台が出ていて、網が取り払われているようでラッキーでした。屋台に取り囲まれて、窮屈そうではありますが…。
裏手は、歌舞伎町の新宿ゴールデン街、表は伊勢丹やマルイが並ぶ靖国通りと、将に新宿のド真ん中にある神社です。江戸の時代も甲州街道と青梅街道の分岐点の「新宿追分」がすぐ近くのため、行きかう人々でさぞ賑わっていたことでしょう。
そう言えば、あの甘納豆で有名な「花園万頭」のお店も大鳥居の向いにあります。2018年に一旦倒産して、心配したのですが、千疋屋が引き受けて、復活し、営業を開始しています。