ファストフードと言えば、 ハンバーガーやフライドチキン、牛丼なんかを思い浮かべますが、 江戸時代のファストフードは何だったか知っていますか? 代表的なものは3つありました。
1つ目のファストフードは、蕎麦です。 これはなんとなく解りますね。お店で出すものもありましたが、 代表的なものは屋台です。夕方から夜中にかけて屋台を担いで、 回ります。夜鷹(路傍で客引きをしていた娼婦) に対して売ることも多かったからか夜鷹蕎麦と呼ばれていたまし た。また、夜の町に風鈴を鳴らしながら屋台を流していたので、 風鈴蕎麦などと呼ばれていました。蕎麦の値段は16文( 300円強)ほどで、手軽に食べることができました。現在だと、 夜中にお腹が空いた時、 カップ麺を食べるのと同じような感覚だったのかもしれません。
次のファストフードは寿司です。今だと、 寿司屋と言うとちょっと高級な感じがしますが、 当時は屋台で売るのが、主流でした。手軽に入る事が出来て、 手軽に注文でき、手軽に食べられる。この手軽さが、 江戸っ子の気質にあったのではないでしょうか。 値段は1つで4文(現在の80円ほど)からだったですので、 値段も手軽でした。 今で言う回転寿司みたいな感覚で寿司を食べられる。 そんな感じだったのではないでしょうか。
ちなみにおもなネタはコハダ、たい、あなご、あじ、海老、たこ、 いか、はまぐり、そして玉子などで、今とはちょっと違いますね。 また、漬けにするなどひと手間かけていました。 大きさも現在の倍ほどでした。蛇足ですが、 2つずつ寿司を出す風習は、当時、 食べやすいように半分に切ったからだとも言われています。
上に載せた広重の浮世絵でも海老、コハダ、たい、 そして玉子巻きなどが見られます。 それにしても美味しそうですね。
また、寿司は手でつまんで食べましたから手が汚れます。 当時は酢生姜(現在のガリのようなもの)で濡らして、 暖簾で手を拭いていたとの事です。 従って美味しい繁盛している寿司屋の見分け方として、 暖簾の汚れで判断するなんて事もあったようです。
最後のファストフードは、なんと天ぷらです。 天ぷらと言う呼び名は、 ポルトガル語の「tempera」からとか、 当時の戯作者の山東京伝が、「 天竺浪人がふらりと江戸に出てきて始めた」 と言った事で名付けられたなど諸説があります。
この天ぷらも屋台で食べるのが主流でした。 当時の天ぷらは野菜や魚を串刺しにして揚げていました。 見た目は、今の串揚げのようでした。1串4文(80円程度)で、 値段も安く、ふらりとはいって、手軽に食べられるものでした。 浮世絵を見てください。 サムライが身分を隠して食べています。 よほど美味しかったのでしょうね。
ちなみに大江戸線の清澄白河駅に行くと「深川江戸資料館」 と言う展示館があります。ここでは、江戸の町を再現していて、 天ぷらの屋台もあります。時間のある方は是非。