愛宕神社は、東京23区で最も高い場所、標高23メートルの愛宕山頂上に位置しています。慶長8年(1603年)、徳川家康により、江戸の防火の神様として祀られたのが始まりです。江戸の大火、関東大震災などで、幾たびか焼失してしまいましたが、最終的には、昭和33年(1958年)に再建され現在に至っています。ご利益は、防火だけでなく、商売繁盛、縁結びや印刷、そしてなんとコンピュータ関係も効果があるらしく、その筋の人達の間では結構有名らしいです。
愛宕神社は、広重の「名所江戸百景」21番目の「芝愛宕山」でも登場します。
毎年1月3日、女坂にある茶屋「あたご茶屋」の主人が、「毘沙門天の使い」ということで、裃を着て、大きなシャモジを杖として持ち、巨大なスリコギを太刀替わりに持ち、頭には正月のお餅のしめ飾りをつけたザルをかぶって、愛宕神社をお参りします。そして、その出で立ちのまま、愛宕神社を下り円福寺まで行って、巨大なまな板を打ち鳴らします。そして、僧たちに山盛りの飯を食べさせることを強いて、問答が終わった後、再び愛宕神社に帰るという奇祭です。それにしても凄い出で立ちですね。
強飯式(ごうはんしき)は、日光が有名ですが、ここ愛宕神社でも江戸の当時行われていて、江戸の庶民の間では有名だったそうです。
日比谷線「神谷町駅」の3出口から出て、左のファミリーマートを通り過ぎ、すぐ左の細い道に入り直進します。しばらく歩くとT字路に突き当たりますので、そこを右折すると愛宕トンネルが見えます。そこを抜けるてすぐ左折すると到着です。約6、7分程度かかります。
その他、銀座線「虎ノ門駅」、三田線「御成門駅」などからが比較的近いです。JRだと「新橋駅」になりますが、ちょっと遠いですね。
大鳥居をくぐると、「出世の石段」と呼ばれる非常に急で長い石段の男坂があります。なぜ、こう呼ばれるようになったかと言うと、寛永11年(1634年)、家光が徳川家の菩提寺である増上寺に参拝した帰りの出来事によります。家光は、愛宕山を通った時、満開の梅に目を止め、頂上の梅の花を馬で取ってくるように命じます。ただ、急こう配のため、家臣たちは皆尻込みしてしまいます。そんな中、四国の丸亀藩の曲垣平九郎が、馬を巧みに操り、登り降りし、取ってきます。家光は、褒賞として、脇差し一振りを直々に与え、曲垣平九郎の名は、一日にして全国に轟いたと言い伝えられています。こうした事から「出世の石段」と呼ばれるようになり、出世を願うビジネスマンの参拝(※)が絶えないと聞いています。
長い階段を登って、振り返ってみてください。結構急な階段だったことを再確認できます。さすが23区最高峰です。江戸の昔は、ここから海まで見通せて、さぞ絶景だったのだろうなと想像できます。
また、「こんな急な坂は無理!」と思われる方のため、女坂も有りますし、実はエレベーターもあります。エレベーターは、神谷町駅から来る時通ってきた愛宕トンネルを抜けてすぐ右側です。
※ビジネスマンの参拝
本殿右側にある社務所では、出世の石段にまつわるカード型の金箔のお守りも売っていました。財布とか定期入れ、特に会社のIDカード入れなんかに入れておくとご利益がありそうですね。興味ある方は是非‼
手水舎で清めた後、朱塗りの門をくぐります。すると左手に「招き石」があります。この招き石は、撫でると福が身に付きますと書かれていますので、是非撫でましょう。皆さん、そうするようで、石の表面はツルツルです。また、そのさらに左奥には、曲垣平九郎が、手折った「将軍の梅」と呼ばれる梅の木もあります。
社殿は、非常に落ち着いた感じのもので、先ほど階段を登ってきた時とは打って変わり、静かに参拝出来ます。
社殿の右側に摂社が3つ並んでいます。道案内の神様の猿田彦命を祀った「太郎坊社」、開運のお稲荷様「福寿稲荷神社」、そして商売繁盛と縁結びの神様の大黒天様と恵比寿様が祀られている「大黒天社」です。
摂社の正面には、金運が上がるといわれている児盤水(こばんすい=小判水)という池があります。今から1100年近く前の平安の遠い過去、源経基(みなもとのつねもと)が、この池で、水垢離をして祈願し、平将門の乱を鎮めたとの伝説があるところです。また、池の右手には、弁財天社もあります。
帰りは、女坂から下りると楽です。また、愛宕トンネルの神谷町駅側の降りる抜け道もありますので、駅へ急ぐ方はこちらを使う手もあります。それと、境内の続きには、NHK放送博物館(※)もありますので、興味がある方是非…。
※NHK放送博物館
1925年7月、日本でのラジオ本放送の始まりが、ここ愛宕山からでした。その後、放送施設としての役目は終えるのですが、NHKの「放送のふるさと」ということで、1956年にNHK放送博物館が開館しました。ただ、月曜日が休館日のようですので、時間帯も含め、必ず確認して行ってください。