江戸時代は食の文化が花開いた時代でもありました。 玉子や豆腐を使った料理本が流行し、 庶民の食生活でもさまざまな食べ方を楽しむようになっていました 。特に文化文政期以降、天保の改革以前は、 浮世絵や洒落本などの文化とともに、 飽食の時代と言っても良いほど隆盛を極めました。 今回はそんな時代のエピソードを紹介します。
浅草に八百善というお店がありました。元々は、 八百屋さんだったのですが、 近隣のお寺に料理を納めるようになり、 味が良かったので次第に料理屋として名を馳せるようになりました 。
4代目の栗山善四郎は、芸術、文学などに造詣が深く、 文人との付き合いも豊富でした。また、商才にも長けた人物で、 マスコミ、口コミ両方で、 さまざまな戦術を繰り広げていたようです。 しかも嫌味の無く洒落っ気たっぷりな形でです。
当時のマスマーケティングで最も影響のあったものの一つは本の出版です。文政5年(1822年)に、八百善は「 江戸流行料理通」という本を出版しました。この料理本は、4巻ま で出ています。内容は、料理の紹介だけではなく、道具に使い方から料理の心得まで非常に内容の深いものでした。また、発行の際には、蜀山人などの当時高名な文人が序文を書いたり、谷文晁や葛飾北斎が挿絵を描くなど優れた販売戦略をとっており、江戸土産としても売れに売れました。こうして八百善の名は日本国中に広まっていったのです。
それと口コミ効果もかなり知っていたようです。「一両二分の茶漬け」、「 はりはり漬」など数々のエピソードで、高級料理の八百善というイメージを大衆までも波及させました。また、趣向として、「起こし絵」をお土産にするなと、 さらに口コミ効果を拡大させるさまざまな工夫を行なっていました。 起こし絵とは今で言うペーパークラフトの事です。 お土産に貰った起こし絵を家に帰ってハサミと糊で組み立てると、 八百善の店が再現される趣向でした。
起こし絵は、現在の八百善のホームページにあります。 興味と根気のある方は是非チャレンジください。